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宝永町248番地 第55話 [Wessay]

カミキリ虫と無花果

宝永町商店街の端にある神社の敷地の東側に沿って、細い路地がある。
人がすれ違うことも難しいほど狭くて、いつも薄暗い砂利道だ。
ドクダミの匂いが地面の上に敷いた絨毯のように低く漂っていて、
ときおり子どものぼくの鼻の高さまで届いてくる。

その道を神社の裏に向かって北に行くと、垣根に突き当たる。
右に曲がることしかできない。
そのまま進むと木陰から抜け、お昼前の光が真正面から降り注ぐ日向に出る。

ぼくはこの迷路のような道が好きだ。
目的地はもうすぐだけど、走ることはしない。
わくわくする期待を大事に胸に抱えて、ゆっくりと歩く。

そこは知らない人の家の広い庭だった。
コンクリートブロックの灰色の塀で囲われている。
でもそれほど高くない。神社のよりも低い。

ぼくは昆虫採集に来たのだった。
その庭のビワやイチジクや名前の知らない木には色んな虫がいるのだ。
ずっとぼくだけの秘密の場所だったが、最近はみんなの知るところとなっていた。

だけど、今日は誰も誘わずにひとりで来た。特に理由はない。
すぐに茅の葉にとまっているカマキリを見つけた。ハラビロカマキリだ。
他のと比べて腹が横に広くて、ずんぐりとした印象がある。
虫たちがどんな保護色をしていても、いれば見つける自信がぼくにはあった。

オオカマキリかチョウセンカマキリなら欲しかったけど、
ハラビロは欲しくなかったので、そのまま見逃すことにした。
第一、カマキリはエサの世話をするのが大変なのだ。
おまけに去年は部屋の中でタマゴが孵って大騒ぎを起こしたし。

様子からして、家人がいないことを承知した上で、ぼくは塀によじ登った。
イチジクの枝を隈なく捜していると、大物を発見した。
ミヤマカミキリだ。

ノコギリカミキリよりも色が薄くて、灰色がかった黄土色をしている。
虫捕り網は持ってきてないけど、カミキリムシは手で捕まえられる。
そんなにすばしっこくないけど、一度捕まえ損ねると飛んでってしまう。

ぼくは塀の上に立ち、左手で枝を握ってふらつかないようにして、右手を伸ばした。
親指と人差し指で胸の両側を押さえた瞬間、カミキリは「ギイギイ」と鳴きだした。
苦しがってるようにも聞こえるけど、もちろん手は離さない。
ゆっくりと枝から虫を引き離す。ここが肝心なところだ。

木にしがみつこうとするので、一旦引き剥がす力をゆるめる。
するとカミキリは歩こうとする。その瞬間にもう一度ぐいっと引っぺがすのだ。
そうするのが一番いい。

ぼくはそのまま塀から飛び降りた。
着地と同時に両のひざ頭が軽く自分のあごにぶつかったけど大丈夫。
右手の獲物も大丈夫。

そしてぼくは野球帽を脱いで大事なカミキリを頭の上に乗せ、すぐさま被りなおした。

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宝永町248番地 第54話 [Wessay]

夏祭り

八月の朔日(ついたち)は家の向かいの神社で祭りが開かれる。
ぼくたち子どもにとっての祭りとは夜店もしくは夜遊びの意味だ。
いずれにしても夏休みの大きな楽しみのひとつだった。

夜店といっても昼間から準備がはじまって夕方になる前に開店する。
六月の晦日(みそか)の輪抜け様の祭りに出ていた店もたくさんあるし、
そうでない店もあるが、夏祭りのほうが賑やかだった。

隣の松本ミカン水工場も大忙し。店の前でミカン水の瓶を氷水に浸けて売っている。
カノコの氷屋のカキ氷機も止まることがない。
ぼくの家も酒屋なので稼ぎ時だ。家族みんなの表情も明るい。
一杯呑み屋には昼間から次々に客がくる。開店前に景気付けにくる夜店の店主もいる。

浴衣を着た女の人や派手なシャツを着たおとなの人が目立つ。
風船屋さん、お面屋さん、射的屋さん、くじ引き屋さん、輪投げ屋さん。
店の数も輪抜け様のときより多いので一段とにぎやかだ。

特別にお小遣いをもらったけど、金魚すくいとヨーヨー釣りは禁止された。
しかしそれは全く問題ではなかった。
ぼくはある店が開くのを今か今かと待っていたのだ。

それは「型抜き屋さん」と呼ばれていた。
五十円を支払って、一枚の”型”が入った紙包みをもらう。
”型”とは板ガムを二枚くっつけて四角くして、もっと硬くしたようなお菓子だ。
肌色のような薄いピンク色をしていて少し粉を吹いている。

お菓子というくらいだから、食べられるのだが、おいしくないので誰も食べない。
ではどうするのか。
型にはある絵が描いてある。絵の縁にそって浅く溝が刻まれている。

様々な種類があるが、紙包みになっているので開けてみるまでわからない。
ウサギ、金魚、ウマ、カメ、朝顔、バナナ。
色は付けられていないが、形は実物に近い感じに仕上がっている。

この絵を溝に沿って型から切り離すのだ。
割ったり欠けたりさせずにキレイに抜かなくてはならない。
使える道具は店が用意してある”針”のみだ。
まぁ、ハサミがあったとしてもそれでは大抵うまくいかない。それくらい型はもろい。

針の先で溝をなぞって掘ったり、ちょんちょんと突付いて小さな穴を開けたりと
みんな思い思いのやり方で奮闘している。
こんなに一所懸命になるのには理由がある。

上手に型抜きができると賞品あるいは賞金がもらえるのだ。
簡単な絵柄だと駄菓子がもらえる程度だが、賞金がでるようなやつは難易度によっては代金の何倍にもなる。
朝顔のような単純な絵でも、小さい子ができたときは、おじさんは大いに褒めてくれる。
お菓子もオマケしてくれる。

「おう、これはよくできたね。おめでとう。これをあげよう。」
「ありがとう。」

一方、賞金目当ての上級生、あるいは中学生とおぼしい連中は真剣そのものだ。
店のテントの下の長机に向かって、汗だくになって型と格闘している。
針の先とめん玉がくっつきそうだ。

「あいたぁ。割れたぁ。」

難度の高い兵隊さんの型抜きをしていたお兄ちゃんが落胆の声をあげた。
銃剣が途中でポキリと折れている。
失敗すると何もかもパアだ。残念賞なんかない。
型を食べることもないので、そのまま机の上に置き去りにしてテントから出て行った。

そしてぼくが買った紙包みから出てきたのは、なんと足が八本もあるタコだった・・・

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宝永町248番地 第53話 [Wessay]

セミ捕り

ぼくの家の向かいは神社だ。
梅雨明けするとニイニイ蝉のか細い「チィー」という声が聞こえだす。
その声に誘われるように夕方、ヒグラシが「カナカナカナ」と鳴き始める。
この二種のセミのハーモニーはなんとなく上品だ。

しかし夏休みにもなると、社の裏の杜と境内の木はセミで一杯になる。
基調音として常に耳の奥に響く「ジィー」というアブラ蝉の声。
なんといっても盛大なのはクマ蝉の「シャンシャンシャン」という大合唱。
たった一匹がたまたま軒下にとまって鳴きはじめただけでも相当うるさいくらい声が大きい。

そんな木々の下に建つ神主の家の騒々しさは想像したくもないが、
どれくらい喧しいかは、いつもなら境内で走り回って遊んでいるだけで叱られるのに、
セミ捕りのためにみんなで集まっても何も咎められないことで、子どものぼくにもわかる。

そう、今日はみんなでセミ捕り大会だ。
ぼくは金物屋で一番長い竹竿をじいちゃんに買ってもらった。
その先にエビ捕り用のやわらかくて小さい金網を針金で括りつけた。
網の口は大人の手のひらくらいで、金網なので通常はぺちゃんこになっている。

ふみちゃんとマサヒロとナオシも虫捕り網を持ってやってきた。
ナオシは竹ざおの先に鳥モチを付けようとしている。
鳥モチは濃い緑色をしていて、小さな丸い弁当箱のような缶に入っている。

「うわぁ、手についたのが取れないよぉ。」
「いっぱい出しすぎだよ。」

ナオシが指に付いたモチを松の木の幹に擦りつけている間に、ぼくたちは早速捕獲を開始した。

一番数が多いのはアブラ蝉だけど、茶色い体の色が保護色になっていて意外と見つけにくい。
クマ蝉の身体は黒いが翅が半透明で光を反射するので鳴かないメスでもすぐに見つけられる。
ミンミン蝉は滅多にいないし、いても高い木の更に天辺付近にいるので、捕るのは難しい。

ふみちゃんがツクツクボウシを捕まえた。
ツクツクボウシは比較的低いところにとまるので、普通の網でも捕れる。
ただし、敏感で逃げ足が速いので技術が必要だ。

「やった。捕れた、捕れた。」
「オスだね。翅がキレイな緑色だ。」
「すごい。オレも捕りたい。」

まだ今の時期、ツクツクボウシの数は少ない。
ナオシは次々にクマ蝉を捕まえていた。
無理に鳥モチから引き離してしまって翅がボロボロになったり、もげたりしてもお構いなし。
虫かごの中は真っ黒になっていく。

ぼくはアブラ蝉を狙っていた。
高いところほど枝が密集しているので、いるのがわかっても網をいい角度で差し入れられないと捕れない。
そのためにも小さくてぺちゃんこになっている網が適しているのだ。

まずは場所を見極めて竿を枝の中に差し入れてみる。
真後ろから狙えるように木の幹を軸に身体を移動させる。
あとはとにかく慎重にコトを進めるだけだ。

今だと思ったら、思い切って勢いよく竿を木に叩きつけるようにして網を被せる。
それぐらいしないと長い竿の先の動きはどうしても緩慢になる。
狙える範囲が広くなる反面、失敗する確立も高いのだ。
だから、ぼくは何回もセミのションベンの反撃をくらった。

「うわっ、またやられたぁ。」
「はははは。」
「もっと下のを狙えば。」
「下のは竿が長すぎてこまる。」
「そうか、それじゃあオーシはとれないね。」

ぼくたちがワイワイと楽しんでいるのを、神主が木陰から、まるで仕事の監視をするように眺めていた。
その眼差しは、ぼくたちに「もっと捕れ、もっと捕れ」と言っているようだった。

何も急いだり頑張ったりしなくても、その内にみんなの虫カゴはセミで満タンになる。
最初バタバタとカゴの中で騒いでいたクマ蝉もじっとしてシャンシャン鳴いている。
大会の最後の締めくくりは予め用意したタコ糸を銘々選んだ一匹に結んで飛ばすことだ。

「あ、逃げられた。」
「いいよ、いいよ。また明日捕まえよ。」
「もうセミいらないよ。」
「持ってかえってどうする?」
「さぁ。」
「さぁねぇ。」

そして片手に竿、もう片方の手にタコ糸を持って、ぼくたちはセミの散歩をさせながら家に帰るのだった。

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宝永町248番地 第52話 [Wessay]

ハヤとアポロ

夏休みがはじまり、お中元の時期が過ぎると酒屋の仕事はひと段落する。
ぼくはというと「夏のこども」という宿題帳なんかほったらかしにして、
毎日なかよしの友だちと遊び呆けている。

学校のプールに泳ぎに行く友だちもいるが、ぼくは水泳が苦手だ。
金槌ではないが、赤い帽子を被らされている。少し上手な子は黄色い帽子だ。
そもそもプールに関係するものがことごとく気に入らなかった。

まずは着替え。みんなフリチンにならずに水着に着替える。
パンツの上に水着を穿いてからパンツを脱ぐという手順を踏むのだ。
たしかにフリチンになると囃し立てられるので、それもいやなのだが、
泳ぎ終わったらタオルを腰に巻いて着替えるのもまた面倒くさい。

それからプールに入る前の腰まで浸かる水槽の水の薬品の匂い。
プールの水のカルキの匂い。
妙ちくりんな洗眼シャワーもぼくはうまくできなかった。
だから自分から学校のプールに行こうと思ったことはただの一度もない。

でも今日はお父ちゃんが川へ連れて行ってやるという。
川なら着替えの手順も気にしなくていいし、嫌な匂いもしない。
赤い帽子だって被らなくていいし、洗眼シャワーもない。

「行く、行く!」
「顔面を持って来い。ヤスも忘れるなよ。」

顔面とは水中メガネのこと。ヤスは魚を突くモリの一種だ。
ぼくは納戸から言われたものを出してきた。
着替えと水着はお母ちゃんが用意してくれた。

ふたりっきりで配達用のトラックに乗って出発した。
目的地は町の中心を流れている鏡川の、ぼくの家のある宝永町より少し上流だった。
窓の外の景色に退屈する間もなく到着した。

土手の上に車を停めて、水着に着替えた。もちろんフリチンになって。
ぼくは顔面とヤスを荷台から降ろして手に提げた。
お父ちゃんは何か見たこともない道具を抱えている。

ぼくたちは河原に歩いて下りていった。
転がっている石はゴムのサンダルが溶けるんじゃないかと思うくらい熱い。
所々にある水溜りに足を入れるとお風呂のお湯のようだ。しかもぬるぬるしている。

まずは仕掛けをするというのでお父ちゃんに後ろに従って川の中に入った。
深さはぼくの腰くらいだ。でも流れは結構速い。
流れの速さの具合が丁度良さそうな場所をお父ちゃんは探していた。

「よし、この辺にしようか。」

お父ちゃんが持ってきたものは透明のプラスチックでできた樽のような容器だった。
一斗缶よりは一回り小さくて、底が漏斗を逆さにはめ込んだように凹んでいる。
容器全体に小さな穴がいくつも開いている。

お父ちゃんは拳くらいの石を川底から拾うと、フタを開けて中に入れた。
そのまま底を川下、頭を川上に向けるように横にして沈めてフタを閉めた。
フタにもいくつか穴が開いているので、沈めた容器の中を水流が抜けていく。
周りの石を少し動かして容器が安定するように調整した。

「よっしゃ、これでええやろ。しばらくこのままにしとくぞ。」
「これでどうなるの?」
「魚がこの中に入ってくる。」
「へぇ。」

仕掛けが終わったので、ぼくは河原にあがって、顔面をつけてヤスを持った。
ヤスを使うのははじめてなので使い方を教えてもらわなくてはならない。
お父ちゃんは岸縁の少しよどんだ淵のような場所を見つけて、ぼくを連れて行った。

「まずは水の中を見てみろ。」

ぼくは息を思いっきり吸い込んで、頬っぺたを膨らませて頭を突っ込んだ。
ちょっと濁っているが深くもないし、陽の光が底まで差し込んでいるのでよく見えた。
岩陰にちらっと魚の影が消えていった。

「何かいたか?」
「何か魚がいたよ!」

今度はヤスの使い方を教えてもらった。
柄の先に突いているゴムに腕を通し、そのままゴムを引っ張りつつ、ヤスの先の方を握る。
狙いをつけて握っている手を緩めるとゴムの力が解放されてヤスが前方に突き出される。
その先に見事獲物がいればヤスの先端に突いている金属の鉤が刺さるというわけだ。

ぼくは恐る恐るヤスを構えて頭を川の中に浸けた。
最初は満足に操ることができない。突き出る勢いがつかない。
でも次第にコツがわかってきた。

しかし獲物はすばしっこい。
狙いを付けて手を離した瞬間に魚は俊敏に移動してしまっている。
何度やってもだめだ。
少しがっかりしてしまったし、疲れてきたので一旦魚捕りはやめにした。

顔面とヤスを河原に投げて少し浅いところで泳いだり、水の流れに乗ったりして遊んだ。
しばらくすると、岩にもたれて座って、麦わら帽子の鍔の縁からタバコの煙をくゆらせていた
お父ちゃんが立ち上がってこちらに歩いてきた。

「そろそろ見てみるか。」

仕掛けを上げるのだ。
ぼくたちは沈めた場所にそろそろと足を進めた。
本当に捕まっているのかどうか心配だったが、お父ちゃんが容器を持ち上げると、
果たして数匹の魚が入っていた。

銀色にひかるハヤたちだ。
容器の穴から水が抜けていくと、魚はピチピチと跳ねだした。

「すごい。いっぱいとれたね。」
「そうやろ。」

お父ちゃんはフタを開けて魚をビクに入れた。
それからもう一度仕掛けを川に沈めた。

ぼくはもう魚捕りはあきらめていた。
あんなにすばしっこい奴らを突くことなんてできないと思ったからだ。
そもそもヤスの機能を発揮できるだけの腕力が子どものぼくにはなかった。
それよりもカルキ臭くない水遊びを堪能するほうがずっと楽しかった。

二回目も魚が何匹か捕れたが、それで漁はおしまいになった。

「よし、そろそろ帰るぞ。」
「うん。」
「今日はな。テレビでアポロの打ち上げがあるぞ。」
「アポロって何?」
「ロケットだ、ロケット。月まで飛んで行くんだぞ。」
「へぇぇ。」

お父ちゃんはハヤのことなんかもうどうでもいいらしい。
ハンドルを握る横顔から察するに、頭の中はすでにアポロで一杯のようだ。

そしてぼくは水着のまま隣の助手席に座るなり、うとうとしながら家路につくのだった。
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宝永町248番地 第51話 [Wessay]

お客

ぼくの家は酒屋だ。
年に何度か業者やお得意さんを招いて宴会を開く。
近所の人もゲストとして迎えるので30人、40人が集まる大宴会となる。
この行事のことを「お客」と呼んでいた。

裏のじいちゃんの家の部屋の襖をぜんぶ外して宴会場にする。
昼の内から準備をはじめなくてはならないので「お客」は日曜日に開かれる。
近所のおばちゃんたちも割烹着姿で手伝いにやってくる。

長細くて幅の狭いテーブルや座布団や酒器などの設えで大勢のひとが動き回る。
料理は魚屋、寿司屋、仕出屋に注文するみたいだ。
大きな皿鉢に盛られたごちそうがトラックで届けられる。
それを次々にテーブルに配置していく。

お刺身とお寿司以外の食べ物はひとつの皿の中に一緒くたに盛られている。
煮貝、煮豆、おひたし、野菜の煮物、鯨の揚げ物、玉子焼き、果物、羊羹。
突き出しからデザートまですべてが一皿に納まっているのだ。
だから料理の上げ下げの手間はかからない。

大変なのはお酒なのだ。
夕方にもならないうちから、ひとりふたりと客がやってくる。
お父ちゃんとじいちゃんが歓迎の言葉をかけて座に着かせると、もう宴会のはじまりだ。

その前にお手伝いのおばちゃんたちはお酒のお燗をつけなくてはならない。
夏でもお燗。
コンロにかけられた四角い金属のおでん屋さんにあるような容器のお湯の中に、
お酒の入ったお銚子を次々と並べる。

慣れたおばちゃんは頃合をみて、お銚子を取り出し、底にちょっと指を当てて温度を確かめる。
具合がよければ布巾でさっと湯を拭く。このお燗番という役割をするひとが二、三人いる。
宴会が終わるまでお燗番は休む間もない。

酣(たけなわ)となった宴会場では、恒例の箸拳大会がはじまっている。
三本の箸を使う一対一の遊びだ。
箸でチャンバラをするわけではないが、ある種の技があって、その差によって強い人と弱い人がいる。
それがジャンケンとちがうところのようだ。

「来るか」
「行く行く」
「これに来てみい」
「んー、三!」
「一枚!」
「またやられたぁ」

負けると目の前に置いてある杯を干さなければならない。
だから弱い人はあっという間に酔っ払ってしまい、飲めなくなると「参った」と降参する。

じいちゃんは達人だ。
普段と違って明るい笑顔で愛想よく相手をしながらも、しっかりと対戦者の手を読んでいる。
そもそも酒に酔うことがないので、ほろ酔いの人間など相手にならない。
でも、あまり勝ち続けるわけにもいかないし、ひとところにずっと居座っていては主催者として具合が悪い。
だから頃合をみて、わざと負ける。何回か続けて負けて、「参った、参った」といって場を開けるのだ。

子どものぼくから見ても、それらの立ち居振る舞いは、しなやかであり、品があった。
もう少し大きくなってから知った「威あれど猛からず」という言葉がぴたりと当てはまる大人だった。

さて、「お客」は開宴の合図がないのと同様に、お終いもない。
三々五々家路についていく、たらふく飲んだ酔客もいれば、まだまだ話に花が咲いているお客さんもいる。
家族が迎えにきて、渋々帰っていくひともいれば、部屋の隅で酔いつぶれているおじさんもいる。

お手伝いのおばさんたちは少しずつ片付けをはじめる。
ぼくが「そろそろ寝なさい」と言われる頃、「お客」はほぼ終わりになる。
ごちそうをたくさん食べてジュースもいっぱい飲んで、ぼくも幸せな気分だ。

「じいちゃん、おやすみ。」
「おう、はよう寝ないかんぞ。」
「うん。」

そして翌朝、宴会場を覗いてみると、三、四人くらいのお客さんがまだぐっすりと寝ているのだった。

宝永町248番地 第50話 [Wessay]

虫とり

夏になるとぼくたちは虫とりにでかける。
行き先は山ではなく、田んぼだ。
ぼくの家から田んぼのある田園地帯まではちょっと遠いけど、子どもでも歩いていけないことはない。

「ふみちゃーん、虫とりに行こう」
「マサヒロもいるから一緒に行こう」
「うん、じゃあナオシとヒロシも誘おう」
「そうしよ」

虫かごやバケツや網を持って、ぼくたちは出発する。
宝永町商店街を通り抜け、左に曲がって少し行くと一文橋という橋があって川をわたる。
それからさらに北に向かってひたすら歩いていく。

遠くに四国山地の裾野の山々がくっきりと緑色に左右の視界いっぱいにそびえ立ち、
その上には青いソーダ水にところどころ白いバニラアイスを散らしたような空が突き抜けている。
チクチクする光とだんだんと濃くなる空気に包まれて、ぼくたちの足取りは軽い。

みんなの額に汗の粒がキラキラしだすころ、田んぼの端の水門に辿りつく。
風になでられる稲の葉の絨毯の上にはトンボや蝶がふわふわと浮いている。
畦道とその両側の細い草むらにはバッタや天道虫が見え隠れしている。

しかし、今日のぼくたちの目当ては彼らではない。
わずかに残った田んぼの水の中や用水路にいる水生昆虫なのだ。
だからバケツを持ってきている。

ゲンゴロウ、ガムシ、ミズスマシ、タイコウチ、ミズカマキリ。色んな種類の虫がいる。
ゲンゴロウやガムシはすばしっこくて捕まえにくい。
タイコウチやミズカマキリは泥と同じ色をしているので見つけるのが難しい。
タガメは図鑑では知っているが見たことがない。

「あ、いまゲンゴロウがいた!」
「どこどこ」
「あのへん、あのへん」

マサヒロが指差す方を目を凝らして見てみるが、もうどこかに行ってしまったようだ。
あの宝石のようにキラキラと緑がかった大きなやつを捕まえたら誰でも鼻が少し高くなる。
それくらい滅多に見つからないし、捕まえるのはもっと大変なのだ。

用水路の幅は1メートルほどだが、深さもそれくらいあるので底まで見通すことはむずかしい。
ヒロシがガムシを捕まえた。

「見せて、見せて」
「おう、でかいねぇ」

田んぼ側にいたふみちゃんはミズカマキリを網に入れたがつかむことができずにいる。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ、カマで挟まれても痛くないよ」

細い胴体を慎重につまんでバケツの中の水に放した。
するとすぐに長い尻尾の先を水面に出してじっとしている。
カマキリそっくりの逆三角形の顔をバケツの底に向けて。

反対側の水門まで用水路沿いにぼくたちは虫とりをしながら歩いた。
ナオシはなぜかメダカばかり捕っていたが。
ユーターンしてもう一度取り逃がした獲物をくまなく探しながら歩く。
ぼくもタイコウチとガムシを何匹か捕まえたが、ゲンゴロウにはとうとう出会えなかった。

入り口の水門に着いたときには西に傾いたお日様が色を変えつつあった。
もうすぐ夕焼けがはじまる。

「そろそろ帰ろうか」
「うん、帰ろう」
「帰ろう」
「お腹すいたね」

そして家に帰り着くころには、獲物の半分くらいはバケツから空に飛び立っているのだった。

宝永町248番地 第49話 [Wessay]

輪抜け様

ぼくの家の向かいは神社だ。
その境内は、いつもはぼくたちのただの遊び場だが、祭りの日はがらりと変わってにぎやかになる。
毎年六月の晦日、「輪抜け様」というお祭りが開かれる。

直径を鳥居の高さに合わせた、茅で編んだ巨大な輪が作られて、鳥居に取り付けられる。
ちょうど土俵のたわらを縦にしたような格好だ。
皆お祈りをしながら、その茅の輪を八の字を描くようにして三回くぐるのが型になっている。

小学校から帰ってくると、ランドセルをほっぽり出して一目散に境内に走る。
茅の輪はすでに前日に設えてあるが、それよりもぼくの興味はお店に向かっている。

定番の金魚すくい屋、綿菓子屋、お面屋、それから風船ヨーヨー釣り。
いろいろな店が開店準備をしている。
鉄パイプの支柱を組み上げたり、大きなビニール袋に入った金魚を水槽に入れたり。

見知らぬおじさんやおばさんたちが忙しそうに立ち振る舞う様子をぼくはトコトコと歩きながら、
あるいは時々立ち止まりながらじっくりと見物する。
そうこうしていると、どこかの店のおじさんが、発電機のヒモをグイッと引っ張って始動させる。

「デデデデデデデデッ」

照明が点きはじめたらいよいよ開店だ。
長い電源コードを引っ張ってぼくの家まで電気を借りに来る、発電機を持っていない店もある。
コードは道路の上を無造作に横切っているが、車なんてほとんど通らないので気にしないらしい。

ぼくは一旦家に帰ってじいちゃんとばあちゃんとお父ちゃんとお母ちゃんからそれぞれボーナスをもらう。
お祭りの日だけは特別にお小遣いをくれるのだ。
五十円か百円ずつもらうと、しめて三百円くらいになる。

懐が暖かくなると気持ちも大きくなるのは子どもも一緒だ。
さっそくふみちゃんを誘いに行く。

「ふみちゃーん!お祭り行こう!」
「ちょっと待ってー!」

ふみちゃんちの前で足踏みをして待っていると、つっかけをはいてワンピースを着た女の子が現れる。

「よっし、行こう」
「うん」
「何買う?」
「えーと、りんご飴とねぇ、綿菓子とねぇ、それからアイス!」

どうして食べ物ばかりなんだろうと思いながら、ぼくはふみちゃんと参道に向かった。
まずはふたりでおにごっこをするように茅の輪を八の字にくぐる。
少し遅れたふみちゃんと輪の真ん中でぶつかりそうになって、お互いにふふふと笑いあう。

お参りはしない。しかたがわからないから。
だから、ぼくたちは鳥居から逆戻りして、人ごみの中を夜店の列に入っていく。
りんご飴があんまり好きじゃないぼくは、ふみちゃんを綿菓子屋さんに誘導する。

「綿菓子ちょーだーい」
「何本あげよう」
「二本ちょーだい」

ドラム缶のように深い盥のような器械の真ん中の筒におばさんが小さなスコップでザラメを投入する。
そうしたら割り箸を持って盥の中をかき回す。
するとみるみるうちに蜘蛛の巣のように白くふわふわした飴が箸に絡みついていく。
なんだか手品を見ているようだ。

自分たちの頭の何倍もある大きな綿菓子をなめながら、ぼくたちはひととおり夜店を物色した。
食べ終わって、口の周りがべとべとになった頃に辿りつくのは金魚すくいだ。

「おじさん、一回」
「ほい、いっぱい掬えよ」

ぼくはかっこいいところを見せようと、小さな朱色のフナ金には目もくれず、真っ黒い出目金を狙う。
金属のボウルの縁がなるったけ水面すれすれになるように沈め、目当ての獲物が水槽の隅にいくのを待つ。
角の辺りは小さな金魚もたくさん集まってくるのでなかなかチャンスが来ない。

しかし、やっと黒出目金が一匹、ふわりと水面近くに浮上してきた。今だ。
パシャッと水をはねながら獲物はボウルの中に入った。

「やったー!」
「すごいねー」

ふみちゃんも赤い金魚を四匹もすくった。

こうして楽しいひと時を過ごし、金魚の入った袋をぶら下げながらぼくたちは神社を後にする。

「ほんじゃ、また明日」
「おやすみ」

そしていよいよ夏がはじまる。

宝永町248番地 第48話 つづき [Wessay]

甘納豆 (つづき)

甘納豆くじの特等がどうしてもどうしても欲しいぼくは考えた。
特別にお小遣いをまとめてもらおうとしても、その理由を聞かれたら答えられない。
そもそもまとめてお小遣いをもらえるかどうかもわからない。

複数の人から少しずつねだっても、きっとそれでは足りそうにない。
貯金もしてないので不足分を補うこともできない。
つまり、どう考えてもまとまったお金を手に入れる手段はないのだ。

しかし、景品への欲望と衝動はぼくの頭と身体を支配してしまい、制御不能になっていた。
夕方になる前の遅い午後、店が一日のうちで二度目にヒマになる時間帯、
ぼくはフラフラと、しかしなるだけ気配を消して母屋から店に向かった。

店への入り口をくぐると右手には応接室のドアがある。
その先には一杯呑み屋の区画への入り口があるが、ドアはなく短い暖簾がかかっているだけだ。

閉じた応接室のドアの前を通り、壁伝いにそのまま進み、暖簾をくぐった。
くぐったといっても子どものぼくは身を屈める必要はない。
でもこの時は少し身を低くした。

この時間は一杯呑みに客がいる確立も低い。身を低くしたのはそれをこっそり確かめるためだ。
客がいなければ店の人間もいないことも知っている。
誰もいなかった。

ぼくはこそこそとカウンターの中に入り、てらてらと黒光りしている、木製の勘定箱の中を覗いた。
フタも付いていないので中身がすぐわかる。
お札が数枚と小銭がわずかに入っていた。

ぼくは最近見かけるようになった五百円札を一枚すばやくつかみ、ズボンのポケットに突っ込んだ。
そのままきびすを返し、一杯呑み屋を出て母屋の方に戻った。
その間、誰とすれ違うこともなかった。

何かに操られるようにしてぼくはそのまま裏口から外に出て岡林商店に向かった。

「ちょーだーい。」
「何をあげよう。」
「その甘納豆のくじ全部。」
「そんなにお金あるの?」
「あるある。」

ぼくは頷きながらポケットからくしゃくしゃになった札を出して見せた。

「ちゃんとおかあさんに言ってきたのかい?」
「うん。言ってきた。」

岡林のおばあちゃんはくじを台紙ごと渡してくれた。
それから甘納豆の袋をざっと数えて代金を計算し、おつりをくれた。

ぼくは大きな台紙を持って家の中まで全速力で走った。
小路を挟んでいるだけなので部屋の中まで駆け込むまで1分とかからない。
押入れの下の段に潜り込んで甘納豆の袋をひとつずつ台紙からはがしては、中のくじを確かめた。

もちろんスカも出てきたが一等も出た。景品は小さなプラスチックのピストルだ。
自分で自分に景品を渡した。
しかし特等がなかなか出てこない。
あとみっつしか袋はない。景品は特等だけが残っている。

とうとう最後の一袋を開けた。

「スカ」

そしてぼくは世の中の理不尽さとオトナのずるさをはじめて感じてしまったのだった。

宝永町248番地 第48話 [Wessay]

甘納豆

ある日、岡林商店に気になる駄菓子が登場した。
ただの菓子ではない。くじ引き式になっているのだ。

新聞紙くらいの大きさの厚紙にお年玉袋のようなものが、鈴なりに貼り付けられている。
それぞれの袋の中にはほんのひとつかみの甘納豆とくじが入っている。
厚紙の上部には当たりの景品が袋に入れられてズラッとぶら下げられている。

甘納豆とは甘く煮た小豆をいったん乾かして、さらに砂糖をまぶしたお菓子だ。
乾いているといってもカチカチになっているわけではなく、
乳歯が何本か抜けた子どもでも噛むのに困ることがないくらいにやわらかい。

景品は五等から特等まである。
どれにも当たらなければ、くじにはお馴染みの「スカ」の二文字が書かれている。
五等は少し大きな袋の甘納豆、それから風船や小さなプラスチックのおもちゃと、
段々と豪華になっていき、特等はいつも格別の景品だ。

ある日、新しく岡林商店の柱にかけられた甘納豆くじの特等はプラスチックのジェット機だった。
しかも組み立て式で胴体や羽がそれぞれ鮮やかな色で塗り分けられている。
ぼくの目はその景品に釘付けになった。もちろん、その日のお小遣いでくじをひいた。

「ちょーだーい。」
「何をあげよう。」
「甘納豆のくじ一回。」
「はい、10円ね。好きなのをお取り。」

当たらない。次の日もその次の日もひいた。
当たったのは五等の大きい袋と三等のシャボン玉セットだけ。
あんなに甘くておいしかった甘納豆もなんだか味気なくなってきた。

ほかのお友だちも買うので、くじはどんどんなくなっていく。
特等はまだぶら下がったままだが、景品は徐々に少なくなっていく。
もうぼくは、もどかしさで居ても立ってもいられなくなった。
明日のお小遣いをもらうまで待てない。

そしてとうとうぼくは悪企みを思いついてしまうのだった。

(つづく)

宝永町248番地 第47話 [Wessay]

梅雨

梅雨の季節は小学校までの道のりが長くなる。
親たちもそれを見越してか、毎朝ぼくを急きたてる。

「さっとしなさい。」
「はやく行きなさーい!」
「はよう行け。」

黄色い長靴を履こうとしているぼくの背中に、矢継ぎ早に出発の号令がかけられる。
叱られているような気はしないけど、いい気分にはなれない。
妹はまだ幼稚園なのでゆっくり朝ごはんを食べている。

ぼくは急いでいるふりをしてトコトコと家を出る。

「いってきまーす。」

学校までの通学路は一応舗装されてはいるが、でこぼこしてたり所々砂利が出ていたりしている。
へこんだ場所や舗装がはがれた場所には水溜りができている。
ぼくはそれらを飛び石を渡るように順々に辿っていく。

右へふらふら、左へふらふら。
ひとつひとつ、パチャパチャと水を踏みつけながら蛇行する。
その間、開いた傘をくるくると回転させ続けることも忘れない。

少し深い水溜りはわざとすり足で通る。
すると船が水面を切るように、長靴の先から波が左右に広がっていく。

「ざざざざ、ざざざざ。」

何故だかまるで水中を歩いているような気分になってしまう。
そんな半ば夢見心地の中で見る、庭先の紫陽花の葉にのっかっているでんでん虫は、
それこそ水中に棲むおもしろい貝だ。

ぴょーんと伸びためん玉をちょこんとつつくと、触った方だけがめろーんと縮む。
もちろんぼくは、もう片方も触って縮ませる。
少し待つと今度は先に縮んだ方から順番にぴろーんと元に戻っていく。

でんでん虫と遊びおわるとまた水溜りを伝って歩き始める。
どこかの家の玄関に置いてある手水鉢の中には金魚がいる。
ついついそちらにも足が向き、雨粒でできた波紋の向こうでゆらゆらと泳ぐ姿にうっとりする。

そんな風にあちこちと道草をくいながら歩いているうちに後ろから何人かの友だちに抜かされる。


そして小学校から聞こえてくる予鈴の音でぼくは夢の世界にさよならをするのだ。

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