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宝永町248番地 第57話 つづき [Wessay]

台風 (つづき)

それから数日後、宝永町商店街にいよいよ台風が近づいてきた。
大きいのが近づいているとテレビの人も話している。
説明がなくても昨日から降っている雨がいつもの雨じゃないのは、ぼくにだってわかった。
雨が粒じゃなくて、水のかたまりのようなのだ。

風も違う。なま暖かくて、不規則に強さが変わる。
下手くそなリコーダーの演奏のように、ヒューヒューと、吹いているかと思うと、
まるで壁が動いてくるように大きく重く、びゅうううっと、松や棕櫚の木の幹まで大きく揺らす。
湾の中を波を立てながら町に向かって進んでくるゴジラの姿が頭に浮かぶ。

そんなことをぼくが想像してしまったことがいけなかったのか、町は大変なことになった。
トブの水が逆流してきたかと思うと、あっという間に溢れ出した。
みるみる道路は水浸しになっていく。どうやら堤防が決壊したらしい。

家中が大騒ぎになった。真っ先に店のシャッターを閉めて雨戸という雨戸を閉じた。
でも足元から湧き上がってくる水には何にも効果がない。
子どものぼくは何も手伝えない。「二階に行ってなさい」と言われただけだ。
それでも母屋の台所に留まっていた。

店では帳面やお金などの大事なものを片付けはじめたようだ。
じいちゃんとばあちゃんは裏の家の仏壇の中身だけを風呂敷につめて母屋に持ってきた。
それからすぐに取って返して、畳を上げはじめた。

犬のレイが小屋の中でわんわん吠えている。もう小屋の床が濡れているのだ。
ぼくは犬小屋の扉を開けてレイを出した。
「あ、タマ!」
猫のタマの姿が見えない。一番いそうなのは裏の家なのだが、じいちゃんに聞くといないという。
台所の隣の居間にもいない。まさか大騒ぎになっている店にはいないだろうと思って、行かなかった。

タマのことは一旦さておいて、鶏の様子を見に裏庭の鶏舎に向かった。
地鶏たちは高い止まり木や巣箱の屋根の上に移動して皆じっとしていた。
庭は道路よりも少しだけ高いけど、すでに鶏舎の中も水浸しだった。
鶏は扉を開けて逃がすわけにはいかないと思ったのでそのままにしておいた。

その内に停電になった。
まだ陽は暮れていないのでお父ちゃんを筆頭に店の人たちはお酒をトラックに載せたり、
タバコのダンボール箱を物置の高いところに移動させたり、できるだけのことをしていた。
とうとうぼくも「二階にいろ」と叱られたので、タマのことは神様にまかせることにした。

それからも水位はどんどん高くなってきた。
腰の高さに達したころ、皆はもう作業を打ち切った。暗いし、人間がやられては元も子もない。
家族はみな二階に非難した。
それでもぼくは蝋燭の灯りの中で食べるあり合わせの夕食をなんとなく呑気に楽しんでいた。

「ねえ、イイナズケって何のこと?」
「許婚者っていうのはな。大人になったら結婚する相手のことじゃ。」

お父ちゃんに代わってじいちゃんが答えてくれた。

「結婚?ぼくはちさちゃんと結婚するの?」
「あの子と結婚するのか。それはよかったよかった。はははは。」
「そうかそうか。誰が決めた?」
「お父ちゃんが決めた。」
「そうかそうか。」
「美人のお嫁さんでよかったね。」

何か腑に落ちない気分だったけど、皆がニコニコしているから悪いことではないらしい。
半分からかわれているなどとは思いもしなかった。


翌朝、雨は上がっていたが、宝永町商店街は別世界になっていた。
水は大人の胸の高さくらいになってたが、周りの会話を聞くと、これでも少しひいたみたいだ。
中庭を見下ろすと、洗濯機がプカプカと浮かんでいる。その他にも色んなものが浮いている。
たくさんの木箱や空瓶、じいちゃんのゲタも片方だけ見える。
せっかく荷台に載せたお酒はトラックごと沈んでいた。

もう大人たちにもどうすることもできないみたいだった。
町全体が半ば水没しているのだ。商品をどこかへ移動させたくても持って行き先がない。
平屋建ての家に住んでいる人たちは一体どうしたんだろうと思ったが屋根に登っている人は見当たらない。
ラジオで放送を聞きながらじっと水がひくのを待つしかない、
じたばたしても仕方がないという皆の覚悟が、言葉なくしても伝わってきた。

午後、窓の外から何やら威勢のいい大人のひとの声が聞こえてきた。
風も弱くなってきていたので、ぼくはベランダに出て外の様子を窺った。
すると、小路を挟んだ隣のカリヤばあの家の二階の窓から、男の人が身を乗り出しているのが見えた。
それから、川のようになった小路を見下ろして叫んだ。

「ほら、来た来た。こりゃまた大きいぞ。」

指差す方を見てみると、大きな魚がゆらゆらと泳いでいた。
鯉だ。しかも派手な色のやつだ。多分、誰かが飼っていたのが逃げ出したのだろう。
男の人は家の中に消えたが間もなくまた現れた。手には長い角材を持っている。
ぼくは何がはじまるのか想像もできなかったが、じっと様子を見ていた。

その人は窓枠に角材を立てかけると、その先に五寸釘を斜めに打ちつけ始めた。
釘の尖がった方が角材の先端から突き出た。
どうやらモリを作っているようだ。

予想どおり、そのモリを鯉めがけて突きだした。
しかし俄か漁師の腕ではいくら観賞用の魚でも仕留めるのはむずかしいらしい。
何度も突くが命中しない。獲って食べるつもりじゃないことは、ぼくにもわかった。
ただヒマ潰しに遊んでいるのだ。洪水を楽しんでいるのかなぁとも思った。
鯉は何匹かいたが、そのうち皆遠くへ泳いでいってしまった。

次に目にしたものは商店街の通りから現れた。
それは、在り合わせの材木を適当に組んだ、見るからに心もとないイカダだった。
しかも男の人がふたりも乗っている。

「どこに行くんだ?」

お父ちゃんが大声でたずねた。

「菜園場まで行ってみる。」

返事の声に緊迫した様子はない。この人たちも半分遊んでいるのだ。
菜園場とは隣町の商店街だが、行ったって空いている店などないことはバカでもわかる。

大きな木が流れてきたり、亀が泳いでたり、胸まで水に浸かって歩いていく人を見たりしているだけでぼくは退屈しなかった。

さらにその翌朝、すっかり水のひいた道路にぼくは出た。
様々なゴミや木やなんだかよくわからないものがそこら中に散乱していて、
大人のひとたちはそれを一生懸命に片付けていた。

そんな大変さをよそにぼくは家の周りをさまよった。ふみちゃんたちにも会った。
みんな無事でよかったなと思いながら道路に落ちているものを物色していると、
大きなウナギを発見してしまった。しかもまだ生きている。
黒い背と白い腹を交互に見せて道の上でのたくっていた。

「じいちゃーん。ウナギ、ウナギ。ウナギがいたよ。」
「さわったらいかんぞー。」
「どうしてー?」
「道に落ちてるものはみなクソまみれじゃ。」

その一言でわくわくしていた気持ちが一気にさめてしまったので、すごすごと家の中に戻った。

そしてぼくはまた二階のベランダに出て、ちさちゃん家の方角をぼんやりと眺めていたら、
裏の家の屋根の上を悠然と歩くタマの黒い後ろ姿が見えた。

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コメント 1

Nyandam

大きな台風が来る地域だったのですね。
うちも台風はときどき来ましたが浸水の経験はありません。
タマちゃんはどこに隠れていたのか、余裕ですね。
うちの実家の猫も阪神大震災の時、先にどっかに避難していたそうです。
by Nyandam (2009-08-26 18:20) 

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